仙台高等裁判所 昭和41年(ネ)181号 判決 1967年6月26日
控訴人 市川カツヱ
被控訴人 浅川町
訴訟代理人 光広龍夫 外三名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、原判決理由の冒頭から同理由末葉被控訴町戸籍事務主任小針礼助が控訴人の新戸籍編製にあたり、控訴人主張のような真実と異なる記載をし、養父歌次郎、養母スヱとの身分関係を脱漏したことは、小針礼助の故意によるものとは認められないとの認定事実に至るまでの事実の確定は、当裁判所も判断を同じくするので全部これを引用する。
二、しかし、およそ戸籍は人の身分関係を公証する重要な文書であるから、その事務を担当する者は慎重にして過誤、遺漏等のないよう注意すべきことは理の当然であるところ、被控訴町戸籍事務主任小針礼助は、控訴人の夫光雄の昭和二三年九月一四日付被控訴町長に対する長男賢治の出生届出に基づき、新戸籍を編製するにあたり、さきに認定(原判決理由引用部分)のような控訴人の身分に関する重要な事項である控訴人が佐藤歌次郎、スヱ夫妻の養子であることを表わす記載を脱漏し、婚姻直前の戸籍を表示するに真実と異なる記載をもつてしたことは、小針礼助に従前の戸籍の調査粗漏および表示を誤つた過失があるといわなければならない。
三、さきに認定(原判決理由引用部分)のとおり、昭和二六年一二月七日佐藤歌次郎がついで同月二一日スヱが死亡し、右両名には、養子である控訴人および佐藤常右衛門以外に相続人がなく、結局において歌次郎の遺産については右両名各二分の一づつの相続分をもつていたものである。
四、ところで、<証拠省略>に前認定の事実を総合すると、控訴人は、二~三才のころから歌次郎夫妻の事実上の養子として引取られ、六才ころの昭和三年三月二〇日正式に実父母の代諾による養子縁組届出がなされ、昭和一七年三月市川光雄と結婚後約二年程東京で暮らしたことがあつたほかは、終始養父母とは、その死亡に至るまで同居していたので、歌次郎、スヱ夫妻の養子であることを疑わなかつたが、昭和二七年三月ころ訴外小宅善兵エが控訴人のため、常右衛門に対し、歌次郎、スヱ夫妻の遺産について任意分割を求めたところ、常右衛門は、控訴人は戸籍上歌次郎、スヱ夫妻の養子として記載されていないから相続人でないとて、右申入れを拒絶したこと、そこで控訴人は念のため被控訴町役場戸籍係を訪ねて問い合せたが、係員から戸籍上養子となつていない旨説明を受け、ついで福島家庭裁判所棚倉出張所に赴き問い合せたが、書記官風の職員から戸籍上養子となつていなければ相続権はないと聞かされ、かくて従前は歌次郎、スヱ夫妻の正式の養子とばかり信じていたが、事実上の養子にすぎなかつたかと思いこむようになつたこと、常右衛門もまた控訴人の誤つた新戸籍面からのみ判断して、控訴人は法律上の養子でなく、歌次郎、スヱ夫妻の子としての相続人は自分一人だけであると考えるに至つたことが認められる。
五、前出の<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人はその後昭和三四年九月ころ亡夫光雄の遺品から控訴人の新戸籍の直前の戸籍であり、且つ控訴人に関しては緑川万太郎、タミ間の六女であることとともに養父歌次郎、養母スヱ間の養女であることを明記した昭和二三年一〇月一八日付福島県石川郡石川町長の認証にかかる戸籍抄本を発見し、知人に依頼し、これを手がかりに調査して貰つた結果、前記新戸籍の脱漏、誤びゆうのあることを覚知し、その訂正方を被控訴町長に申入れ、同町長は同月二八日付所轄法務局長の許可を得て、同月三〇日遺漏にかかる控訴人の養子縁組届出、これによる入籍を補充し、併せて出生届出事項中受付年月日、婚姻事項中従前の戸籍の表示の訂正をしたこと、そこで控訴人は福島家庭裁判所白河支部に対し、遺産分割の審判を申立て(同庁昭和三四年(家)第一五二七号事件)、同裁判所は審判手続に先立ち控訴人と佐藤常右衛門間の調停を試みたこと、しかし常右衛門から控訴人の相続回復請求権は五年の短期時効期間満了により消滅したとの主張がなされたほか、遺産分割案の内容についても当事者間の合意をみるに至らず、調停は不成立に帰し、昭和三七年一〇月二七日控訴人主張のとおりの審判があり、控訴人主張の経過により右審判は昭和三八年一一月二四日確定したこと、を認めることができる。
六、控訴人は同人の戸籍に関し、被控訴町戸籍事務主任小針礼助に前記のような過誤、遺漏がなかつたならば、常右衛門が前記のような相続回復請求権の時効消滅を主張し得るような事態にはならなかつたであろうから、常右衛門との間に協議にせよ、家事審判によるにせよ遅くも昭和二七年末までには遺産分割が決定した筈のところ、小針礼助の前記の如き過誤、遺漏が因をなし、現実には昭和三八年一一月二四日に至り漸く分割の家事審判が確定したので、その間約一一年の遅れをきたした。よつて右審判において控訴人に対し遺産の現物付与に代え、常右衛門に対する合計金九一万四、二六六円を昭和三七年から昭和四二年まで六ケ年年賦の金銭債権を取得したと同一条件で、第一年度分一五万円を昭和二七年末に支払いを受け得べかりしものとし、これに対する民事法定利率年五分の割合による一一年間(控訴人はこれを「被害期間」という。)の利息相当金八万二、五〇〇円、第二年度分一五万円に対する前同割合による「被害期間」一〇年間の利息相当金七万五、〇〇〇円、第三年度分一五万円に対する前同割合による「被害期間」九年間の利息相当金六万七、五〇〇円、第四年度分一五万円に対する前同割合による「被害期間」八年間の利息相当金六万円、第五年度分一五万円に対する前同割合による「被害期間」七年間の利息相当金五万二、五〇〇円、第六年度分一六万四、二六六円に対する前同割合による「被害期間」六年間の利息相当金四万九、二七八円、以上合計金三八万六、七七八円を損害としてその賠償を求めるというのである。
よつて考察するに、常右衛門が小宅善兵エの仲介に対し、控訴人は戸籍上歌次郎、スヱ間の養子でないから遺産分割をする必要がないとして拒否したとき、控訴人がその後直ちに遺産分割の家事審判を申立てることなく、被控訴町長から戸籍の誤びゆう、遺漏の訂正を得た後、始めて右審判の申立をしたことから見て、もし戸籍の右誤びゆう、遺漏がなかつたならば、或いは控訴人はもつと早い時期に遺産分割の審判を申立て、したがつてもつと早期に確定審判を得たであろうと推測することは可能である。
しかしながら、よそ違法行為による損害の賠償は当該損害が違法行為によつて生じたとの因果関係を必要とし、しかしてここにいう因果関係は単にその行為がなければその損害が生じないとの関連があるのみで足りるものではなく、更にそのような行為があれば通常そのような損害を生ずることが吾人の社会経験上一般であると認められる関係があることを要するものと解することが損害賠償制度の本旨に最もよく適合するものというべきところ、新戸籍編製にあたり、従前の戸籍からの移記に遺漏、誤びゆうがあつたからとて控訴人が本来有した歌次郎、スヱ間の養子たる身分を失うものでないことはもちろん、前記の如く控訴人が長年月に亘り養父母と同居し、養親子関係ありと確信して疑わず、控訴人は小学校在学当時も実家の緑川姓ではなく、養家の佐藤姓で通つていたとの原審における控訴本人の供述をひくまでもなく(寄留したからそのようになつたものと思つたとの控訴本人の弁疏は措信しがたい。)、控訴人の昭和三年三月二〇日養子縁組届出以来昭和一七年三月三〇日市川光雄との婚姻により市川家に入るまでの間、公私にわたる日常生活において自他ともに佐藤姓で通つておつたことはけだし当然のことで、したがつて控訴人は右養子縁組を措いて他に控訴人が佐藤姓を名乗り、それが万般の生活関係で他からもみとめられるはずもないことを当然分つていたはずであるから、前記のように新戸籍への移記にあたり養親子の身分関係を脱漏されたからとて、それまでの右身分関係ありとの確信が消え去るというが如きは極めて異常特殊な事例というべく、又右戸籍の遺漏、誤びゆうにより家事審判の申立が不当に遅れるというようなことも吾人の経験上通常一般の事例であるとはとうてい解しがたいから仮りに控訴人がその主張のような損害を被つたとしても右損害は小針礼助の新戸籍編製上の過誤と相当因果関係は存しないものといわなければならない。
このことは控訴人が仮定的に前記損害を金二〇万三、七二六円と金一八万三、〇五二円とに分けて主張する分についても、もちろん同断である。
七、つぎに控訴人は戸籍の右遺漏、誤びゆうに因由するものとして、控訴人がかつて歌次郎、スヱの生前から耕作し、前記遺産分割の審判により控訴人の単独所有に、且つその耕作の権限も控訴人に帰属することになつた控訴人主張の畑二筆のうち実測約二反歩について、相続開始後間もないころ、常右衛門から戸籍上養子となつていないから控訴人には相続権がないとして、これを取上げられたことにより、これを継続して耕作すれば得べかりし利益を失つた損害の賠償を求める。
しかし仮りに控訴人がその主張のような損害を被つたとしても、すでに説明したように控訴人が新戸籍中養親子関係事項の遺漏により、従来いだいていた右身分関係の存在についての確信を失うというが如きは極めて異例のことであるから常右衛門から戸籍に養子と記載されていないからと言われた位でたやすく畑の取上げ要求に応ずるが如きは通常の事例とは言えないばかりでなく、さきに認定のとおり常右衛門は控訴人と同一養親たる歌次即、スヱとの間に大正一四年二月一二日養子縁組の届出をし、原審における証人佐藤常右衛門の証言および控訴本人の供述によれば常右衛門は右届出前大正八年ころから右養親の事実上の養子となり大正一三年ころ同様歌次郎、スヱ夫妻の事実上の養子となつた控訴人とは、そのころから昭和七年ないし同九年ころ歌次郎、スヱ夫妻が控訴人を伴い、別世帯を構えるまで終始同居していた間柄であるから、常右衛門と養親との間に円満を欠くものがあつたことを考慮にいれても、なお常右衛門において控訴人が歌次郎、スヱ間の正式に届出された養子であることの真実の身分関係を認識していたものと推測するに足り、新戸籍にたまたま右身分関係が記載されていなかつたからとて、たやすく、それが真実で従来の認識が誤りであると思い込み、あまつさえ歌次郎、スヱの遺産である畑を控訴人の意に反して取上げるというようなことは吾人の社会経験上通常の事例とはなしがたいから控訴人主張の右損害と違法行為との間に因果関係はないものといわなければならない。
八、控訴人は更に、控訴人と常右衛門の前記遺産分割審判事件の遂行上要した費用合計三万五、七七八円を小針礼助の違法行為によつて生じた損害と称し、被控訴町に対しその賠償を求めるけれども、前記のような控訴人の戸籍記載の遺漏、誤びゆうが仮りになかつたならば控訴人が常右衛門との間の遺産分割を家事審判によらずして解決し得たであろうと推測するに足りる証拠はなく、すでに認定したように右戸籍の誤びゆう、遺漏が訂正された後に申立てられた控訴人と常右衛門間の遺産分割家事審判事件において、審判に先立ち調停が行われたけれども分割案について合意が成立するに至らなかつたことからすれば、右当事者間の遺産分割は、戸籍の記載に誤びゆう、遺漏の有無にかかわりなく、所詮家事審判による解決しかあり得なかつた証左といえるから、控訴人の右出捐を目して小針礼助の違法行為によつて生じた損害ということはできない。
九、つぎに控訴人は小針礼助の違法行為によつて被つた精神的打撃に対する慰藉料の支払いを求めるけれども、この点に関する原審における控訴本人尋問の結果をしんしやくしても、右違法行為の態様、その他諸般の事情に照らし、未だもつて慰藉料の支払いをもつて償わしめることを相当とする損害があるものとは認めがたい。
一〇、以上の次第であるからその余の争点について判断するまでもなく、控訴人の本訴請求は理由がないので、控訴人の請求を棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきである。
よつて民訴法三八四条、九五条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 鳥羽久五郎 松本晃平 飯沢源助)